アーバンギャルド "昭和九十年"


Artist: アーバンギャルド
Album: "昭和九十年"
Label: KADOKAWA
Year: 2015
Tracklist
01. くちびるデモクラシー (4:18)
02. ラブレター燃ゆ (3:56)
03. コインロッカーベイビーズ (3:58)
04. シンジュク・モナムール (4:32)
05. 詩人狩り (4:05)
06. 箱男に訊け (4:48)
07. 昭和九十年十二月 (9:16)
08. あいこん哀歌 (3:07)
09. ゾンビパウダー (3:49)
10. 平成死亡遊戯 (6:38)
11. オールダウトニッポン (6:10)
日本のThe Smiths(と勝手に自分で呼んでいる)、アーバンギャルドがこの年末にドロップした新作"昭和九十年"はとんでもない力作でした。
2012年の2nd"ガイガーカウンターカルチャー"が、個人的には2010年代上半期のベスト50に選出してしまうくらいの名作でしたが、かなりシリアスに作りこんだ感のあったそれに比べ、昨年の3rd"鬱くしい国"は一転してシニカルなユーモアが満載で、「社会風刺するバンドのパロディをすることで社会風刺する」みたいな諧謔的な姿勢のもので、楽曲の良さにより年間ベストにはランクインしましたが、よくよく聴けば作品としてのまとまりは"ガイガー~"の方が上だと感じておりました。
今作はコンセプトアルバムということで、かなりまとまりのあるアルバムになるであろうことは予想していましたが、正直ここまで素晴らしいものが出来上がるとは驚きました。
楽曲的にはヴァラエティに富んでいながら、「昭和九十年」というパラレルワールドの群像劇として一貫した方向性を持ち、まさに理想的なコンセプトアルバムに仕上がっているのです。
舞台として設定された「昭和九十年」はまさに今現在の日本(2015年/平成27年)のパラレルワールドです。
その世界は戦時中ですが、国民は液晶(テレビ/スマホ/ネット/SNS?)に夢中で全くそのことに気づいておらず、むしろ電脳世界に自らを没入させ、幽霊(のように)なってしまっている、という設定のようですね。
作品通してかなりダークで退廃的なディストピアな世界観が提示されています。
そしてそれは我々の生きる平成27年の鏡写しであり、そして「90年」という数字からさらに1990年代の日本の、世紀末の空気までもが投影された世界です。
前者は勿論、スマホやSNSが当たり前になり、人々がそれに依存してしまっている状況(3、8、9曲目)が主なテーマであり、後者は少年犯罪(6曲目)やネット黎明期の闇/病み(10曲目)を題材として取り上げています。
世紀末の閉塞感と、現代の閉塞感が「昭和九十年」という架空の日本で交錯し、絶望的な状況を作り上げてしまっているのです。
しかし、そんな絶望的な状況でも松永天馬は「人間らしく生きること」を諦めません。
そしてそれは、自分達の想いや心を、「言葉」に、「声」にすることでしか達成できない。
だからこそ彼は1曲目を初めとする多くの楽曲で「言葉を殺すな」「声を殺すな」と何度となくリスナーに訴え続けるのです。
しかも、生真面目と言ってもいいほどの真摯さでそれらのフレーズを繰り返しながらも、シニカルなユーモアを片時たりとも忘れない余裕を持ちえている部分に、私は彼の知性を強く感じるのです。
今作は、政治的にとれる部分が随分とありますが、そのような意味で取られることすらきっと松永天馬は織り込み済みなのでしょう。そういった部分には昨年坂本慎太郎が発表した衝撃作"ナマで踊ろう"にも通じるものを感じます。
また、現代の閉塞的な空気を写したという部分では、Darkstarの"Foam Island"などにも類似性を見いだせるかもしれません。
そして、それらのテーマは時に軽やかに、時に重々しく、様々な形で提示されます。
ざっと聴いただけでもお得意のテクノポップ(1、3、8曲目)をはじめパンク(2、4曲目)、デジタル/インダストリアル・ファンク(5曲目)、メタル(6、11曲目)、グリッチーなエレクトロニカ(7曲目)、デカダン塗れのキャバレージャズ(9曲目)、90年代っぽいアンビエント(10曲目)など非常にヴァラエティが豊かですし、そこには日本の童謡的なメロディーが織り込まれ、一般リスナーにもとっつきやすいものになっているように思えます。
メジャー以降のシアトリカル/ドラマティカルな楽曲作りには磨きがかかっていますし、また新メンバー おおくぼけい(ex-ザ・キャプテンズ)のリリカルとオーセンティックなテクノポップらしさを使い分けるプレイや、瀬々信のメタルギターなども今まで以上に目立っており、松永天馬の詩、浜崎容子の歌だけでなく、バンドとしても今まさに絶頂期にあることが伺えます。
そしてラストは松永天馬がつぶやく「昭和九十年」という言葉と、浜崎容子の「平成二十七年」とが交錯し、改めて「昭和九十年」が現代日本の鏡写しであるという警告でアルバムは幕を閉じます。
もうすぐやってくる平成28年/昭和91年、我々は改めて自分達の心を言葉にすることを学び直さなくてはならないのかもしれません。
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