Nadis "Alquimia planetaria"

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Artist: Nadis
Album: "Alquimia planetaria"
Label: Cucha! Discos
Year: 2016

Tracklist
01. Insensible (10:22)
02. Baobab (8:47)
03. Cerbero (5:50)
04. Después de mirar (los disidentes) (6:35)
05. Irmão (8:50)
06. La combucha (10:29)
07. Pequeño concierto para un gran playmovil (9:37)
08. S.A.V.M.A.V.A.S.P.E. (8:22)


南米の音楽シーンで、また新たな動きが見られるようです。
2010年代初頭にはブラジルのミナス州にていわゆる「ミナス新世代」と呼ばれるミュージシャン達が注目を浴びていました。
当blogでもアントニオ・ロウレイロアレシャンドリ・アンドレスをご紹介させていただきました。

今回注目を浴びて(浴びかけて?)いるのはアルゼンチンのブエノスアイレス州(調べてみると首都のブエノスアイレスとは別みたいです)の州都ラ・プラタという都市です。
この都市を拠点に活動する7人組のバンドNadisが今年初頭に発表したデビュー作は、あまりに瑞々しい、フォルクローレをベースにしたメロディやハーモニー、そしてそれを活かす温かみを帯びながら、スリリングな緊張感に溢れたプログレッシヴな演奏とが見事に折り重なった傑作であるように思います。
この作品を契機として、近年徐々に盛り上がっているらしいラ・プラタの音楽シーンに一気に注目が集まってもおかしくないほどによく出来た作品です。

そもそも、最近のアルゼンチンの音楽シーンというと10~15年ほど前に盛り上がったアルゼンチン音響派なんて呼ばれたムーヴメントが思い浮かびます。
英米の音楽に慣れ親しんだ耳には新鮮な、伝統や土着性をはらんだメロディと、当時のポップス/ロック・シーンを視野に入れたコンテンポラリーな音作りや、先鋭的なテクスチュアへの感覚から、その数年前にポスト・ロックの隆盛とともに注目されたシカゴ音響派になぞらえて名付けられたこのシーンからはアレハンドロ・フラノフフアナ・モリーナといったミュージシャンが世界に羽ばたき、ここ日本では勝井祐二や山本精一らのROVOなどとも共演したことは覚えておられる方も多いのではないでしょうか。
私自身、大学時代がちょうどその時期でして、よく聴いていたのを思い出しますね。

アルゼンチン音響派の面々の音楽は、アルゼンチンの音楽をベースとしながらも、英米の先鋭的なポップ・ミュージックの方法論にそれを投影することで音楽を形作っていました。
こと、私が特によく聴いていたフアナ・モリーナなどはその傾向が強かった印象があります。
Nadisはそこからさらに一歩進み、メロディやハーモニーといったものだけでなく、ある種の空気感というか、アルゼンチン(特にラ・プラタ)の雰囲気を存分に漂わせています。

本作のサウンドの中心となるのはベースの描くしなやかなラインです。
そこにドラムがブラシワークでジャジーな装飾を加えつつ、有機的な変化/リズムチェンジをまじえ、複雑なグルーヴを作り出しています。
その上ではフルートやクラリネット、サックス、ギター、ピアノ/キーボードが奔放に、そして華やかに飛び回り、リズムの変化に難なく対応しながら、その時々に応じて幾何学的なポリフォニーや力強いユニゾンを聴かせてくれます。

もちろん聴きやすいだけの作品ではなく、先述のリズムチェンジに加えてやや不安定な不協和ぎりぎりのメロディや、ドラムが各楽器のミニマルなフレーズにポリリズミックにアプローチしていくシーンなども見られますし、楽曲はおそらく即興演奏を主として形成されていったような雰囲気のため、次に何が起こるか分からない緊張感も十分に感じられます。
楽曲は長い時間をかけて徐々にクライマックスに向かってクレッシェンドしていくものが多いこともあってか、短い曲でも6分程度とヴォリュームがあり、8曲の作品でありながら1時間を超えた収録時間になっています。
普段は45分程度の、コンパクトにまとめた作品が好みな私ですが、こういう充実した演奏はやはりこれくらいのフルヴォリュームで聴くに限ります(笑)

雰囲気には(それぞれのお国柄もあってか)結構な違いが見られますが、個人的にはアントニオ・ロウレイロの音楽にあった、プログレッシヴな演奏とブラジル/MPBらしさ両立(というか止揚というか)しているかのような感覚がNadisにも強く感じられます。(こっちはMPBでなくフォルクローレとかタンゴなのでしょうけど)
ぜひとも、ご一聴をおすすめします。大推薦。


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Sarathy Korwar "Day to Day"

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Artist: Sarathy Korwar
Album: "Day to Day"
Label: Ninja Tune
Year: 2016

Tracklist
01. Bhajan (4:43)
02. Bismillah (8:05)
03. Dreaming (4:35)
04. Eyes Closed (3:30)
05. Hail (3:49)
06. Indefinite Leave To Remain (5:49)
07. Karam (5:35)
08. Lost Parade (1:12)
09. Mawra (Transcendence) (4:58)


こんな出会いがあるから音楽を聴くのはやめられない。
US出身のパーカッショニスト サラシィ・コルワー(読み方は自信ないです)がNinja Tuneより発表したデビュー作を聴いてまず思ったのはそういう嬉しい思いでした。

彼は、生まれこそUSですが、両親がヒンドゥスターニー音楽(北インドの古典音楽)の歌手であったことも関係してか、インドのアーメダバードやチェンナイで育ちました。
10歳頃からタブラ演奏などを始めた彼は、当然のこととしてインド音楽にも親しんでいたと思いますが、それと同時にラジオから流れるアーマッド・ジャマルやジョン・コルトレーンの音楽にも魅了されたそうです。

インド音楽とジャズから深く影響を受けた彼にとって、今回題材に選んだシッディ族の音楽はまさにその2者をつなぐミッシングリンクとして最適であったのでしょう。

シッディ族は過去に東アフリカからインドに渡ってきた、インド西部/南部に5万人程度が点在するだけの少数部族です。
彼らの音楽はタブラなどの打楽器を中心として構成され、他のインド音楽と同様に反復性と即興性の強いものであります。
彼は本作の制作にあたり、実際にインド西部グジャラート州ラタンプールを訪れてシッディ族の演奏をフィールドレコーディングし、素材として用いました。

通常、民族音楽を一般的なポピュラー音楽に取り込もうとすると、どうしてもどちらかに引っ張られてしまってバランスの悪いものになることが多いように思います。
そもそも、楽曲がはっきりと展開していく、あるいは「ここがソロでここがテーマで」といった構成がある程度存在する、機能性を求められるポピュラー音楽と、ただ演奏者達の気の向くまま、それこそ気に入れば何分も何時間も同じフレーズを反復することすらある(即興性の強い)民族音楽とはただ混交しただけではうまくいかないのは当然のことでして、その部分に対処するためにはやはり民族音楽に触れられる環境でその音楽/民族の精神に触れながら育っていくことと、西洋音楽理論への理解/応用が必要となってくると思います。
ついでに言うと、それを世界で最初に(英米側の人間以外で)やったのはフェラ・クティということになるのではないか、とも。実際クティはアメリカに留学して学んでますし。

コルワーもその例に漏れず、ロンドンに渡ってタブラ演奏を学ぶ傍で、インド古典音楽のリズム語法をインド外の打楽器演奏に適応させる方法を模索していったとのことです。
そんな経緯から生まれた本作は、シッディ音楽の土着的な霊性/呪術性を帯びた歌声や、トライバルなビートをベースとしながら、そこに西洋の楽器であるエレキギターやサックス、シンセサイザー、ドラムなどの演奏を加える形で制作されたのではないかと予想されますが、それが非常に見事に、西洋的な構築美と民族音楽的な陶酔感とを両立していることにはまず驚かされます。

1曲目からすでに明らかではありますが、冒頭に反復して歌われる、いかにも民族音楽らしいメロディがいつの間にかギターにとって変わられてブレイクを飾るフレーズとして使用されたり、あるいは自然な歌声とガチガチに調律されたサキソフォンのメカニカルな音、さらには電子音であるシンセサイザーの音が当たり前の様に1曲の中で同居し融合している様子などはそういった両立の一例として非常に分かりやすいものであると思いますし、こういった例は本作を聴いている間中そこかしこに散りばめられており、枚挙に暇がありません。
シッディ族の反復と即興が生み出す陶酔感/サイケデリアに、ジャズの即興、電子音楽のアンビエンスなどが交じり合い、なんとも雄大な広がりとディープな精神性を感じさせる作品に仕上がっていると思います。

本作は、コルワーがその類まれな出自を活かし、インド音楽と西洋音楽(特にジャズ)のどちらにも理解を示しながら、一方だけに与することなくフェアに構築した、まさに彼だからこそできる音楽なのです。
こんな出会いがあるから、やはり音楽を聴くのはやめられません。


Tigran Hamasyan "Luys I Luso"

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Artist: Tigran Hamasyan
Album: "Luys I Luso"
Label: ECM Records
Year: 2015

Tracklist
01. Ov Zarmanali (1:26)
02. Ankanim Araji Qo (5:09)
03. Ov Zarmanali - Var. 1 (13:10)
04. Hayrapetakan Maghterg (3:51)
05. Bazum En Qo Gtutyunqd (6:42)
06. Nor Tsaghik (7:38)
07. Hayrapetakan Maghterg - Var. 1 (1:45)
08. Hayrapetakan Maghterg - Var. 2 (4:25)
09. Havoun Havoun (4:34)
10. Voghormea Indz Astvats (9:33)
11. Sirt Im Sasani (3:46)
12. Surb Astvats (5:45)
13. Sirt Im Sasani - Var. 1 (4:04)
14. Orhnyal E Astvats (4:10)


アルメニア人ジャズ・ピアニスト ティグラン・ハマシアンの新作が、なんとECMより発表されました。
今年頭にはNonesuchからも"Mockroot"という作品を発表したばかりで、そちらはまるで2013年の衝撃作"Shadow Theatre"の続編とでも言うべきもの(レーベルカラーに合わせたのか前作よりは多少禁欲的な雰囲気があったように思いますが)でしたが、今作はガラリと趣向を変え、故郷アルメニアの宗教音楽を、なんと現地の聖歌隊(イェレヴァン室内楽聖歌隊/Yerevan State Chanber Choir)とソロピアノのための協奏曲(?)にアレンジしたものとなりました。

もともと彼はジャズ(キース・ジャレット)を通して故郷の音楽を再発見したという過去を持っており、アルメニアだけでなく周辺諸国の古謡/民謡の蒐集に熱心であったようです。
今作はその、まるでバルトークにも通底するライフワークの最初の成果と言うことができるうえ、内容的にも非常に素晴らしいものに仕上がっています。

ECM恒例の「5秒」の後に、ピアノでぽつりぽつりとつぶやくように演奏される'Ov Zarmanali'からアルバムはスタートします。
彼の奏でる、いかにも東欧らしい旋律は、西欧の音楽に慣れた我々の耳には不協和に聴こえる瞬間も確かにありますが、そういった部分も含め非常に神秘的なアンビエンスを湛えています。
また、聖歌隊の方は男女混声で非常にポリフォニックな歌唱を聴かせてくれます。テノールによる戦慄のドローンや、祈りのようなソプラノなど、複数の歌声/ラインが豊かに絡み、神聖さと残酷さを併せ持つかのように美しい倍音を生じながら響く様は、ECM的な残響重視の録音により一層瑞々しくその魅力を放っています。

楽曲は5世紀~20世紀と広範な時代から選曲されたようですが、やはり宗教音楽/教会音楽ということもあってか、対位法的であり、またモーダルな雰囲気を強く湛えています。
ティグランは全体的には割りと礼儀正しく(?)、原曲の神聖性を損ねないようにアレンジしているように見受けられますが、6曲目など、楽曲によってはプリペアド・ピアノを使用しており、硬質な響きが上手く楽曲に溶け込んでいるのには驚かされます。

また所々彼の以前の作品で聴いたことのあるかのような、デジャヴを覚える瞬間があり、彼がいかに巧みに、自身の音楽に故郷の音楽が持つ特性を投影しているかを逆説的に証明しているかのようでもあります。
アルバム中盤~後半にかけ、徐々に演奏が(ジャズ的な)熱を強めていきますが、それでも楽曲は演奏の熱に飲み込まれることなく、どこか寒々しく禁欲的な空気をはらみ続けます。非常に絶妙なバランスであるように思えますね。

まさに自身のルーツを深く見つめることから生まれた作品だと思います。
装丁も通常のECM作品とは違い、ブックレット付きのデジパックでまるで本のような作りをしています。内容と合わせ、非常にトータルな作品作りをしていることを感じさせます。
本作の構想自体は長年暖め続けてきたもののようですが、世間からの彼に対する注目度が高まっているタイミングで、そしてECMというこの音楽にまさにピッタリのこだわりをもったレーベルという最良の相棒と組んで、まさに満を持しての発表と言えるでしょうし、内容的にも状況的にも、彼が本作(ひいては故郷の音楽)に並々ならぬ自身を抱いているのはしっかりと感じ取ることができます。

ECMからは今作だけでなく、同じくアルメニアの伝統的な音楽を現代的なジャズコンボ+エレクトロニクスにより再構築するプロジェクトも発表予定とのことですが、おそらくそちらは今作と対をなすような、表裏一体の作品となることでしょう。
今から楽しみで仕方がありません。


Youssou N'Dour "The Guide (Wommat)"

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Artist: Youssou N'Dour
Album: "The Guide (Wommat)"
Label: Columbia
Year: 1994

Tracklist
01. Leaving (Dem) (5:03)
02. Old Man (Gorgui) (6:30)
03. Without A Smile (Same) (4:13)
04. Mame Bamba (4:58)
05. 7 Seconds (5:07)
06. How You Are (No Mele) (3:39)
07. Generations (Diamono) (5:46)
08. Tourista (4:37)
09. Undecided (Japoulo) (5:25)
10. Love One Another (Beuguente) (4:52)
11. Life (Adouna) (4:05)
12. My People (Samay Nit) (4:38)
13. Oh Boy (4:37)
14. Silence (Tango) (4:39)
15. Chimes Of Freedom (4:52)


いわゆるワールド・ミュージック/民族音楽というものは商業的なルートにのせることはできても、一定の成果(身も蓋もない言い方をしてしまえば「売上」)を残すのが難しいように思います。
もちろん、英米の音楽にはないエキゾチシズム漂うメロディやハーモニー、あるいは土着的なリズムやビートを求める向きは、熱心なリスナー達の間に確かに存在するわけですが、しかしそれはやはり「ニッチ」なものであることもまた、間違いのないことなのです。
そういった理由から、この手の音楽を世に問う際にはやはり「戦略」が重要視されてきたのだと思います。

では、よく見られる、オーソドックスな戦略とはどのようなものでしょうか。
それはもちろん、ロック等の既存のフォーマットをベースとし、ワールド・ミュージック的な要素を取り込むことが一番でしょう。Talking Headsなどに顕著ですが「それまでのロックになかった要素を世界中のプリミティヴな音楽に求め、換骨奪胎することによりロックそのものをアップデートする」…という文句は先鋭的/刺激的なものを好む傾向にあるリスナーには非常にアピールするでしょうし、あくまでベースは英米のロック/ポップスに置いてあるわけで、本場の、ややもすればどぎついものよりはずっと整理されており聴きやすいのですから、ある程度のヒットは望みやすいのでしょう。
しかし、それは結局のところ「民族音楽の魅力」が十全に理解された/受け入れられたとは言いがたいのは明白です。結局のところ民族音楽を「(英米向けに)翻訳しなければ通用しないキワモノ」として見ている、と言われても仕方のない部分があると思います。

セネガルの魅惑的なヴォーカリスト(兼パーカッショニスト)であるユッスー・ンドゥールは、その活動の舞台を自国から世界に移す際に、その辺りの「戦略」を非常にうまく設定しました。
そしてその最良の成果は、彼が94年に発表した"The Guide (Wommat)"にあるのではないかと思うのです。

彼の音楽の根底にあるのは、セネガルの民族音楽であるサバラです。
複数のパーカッションの織りなす高速ビートを基調としたポリリズムは、非常にアグレッシヴで力強く、確かに英米の音楽には見られないものです。
コレに加え、エレキギターの鋭いカッティングや、同じくパーカッシヴにアタックするベースなどにより、彼の音楽はビート・ミュージックとしての機能、そしてエキゾチシズムを強く持っています。

しかし、彼はこのアルバムをセルフ・プロデュースするにあたってそのビートをメロディやハーモニーで覆い隠し、ビートだけに耳が向かないような音作りを心がけたように思います。
ざっと聴いていただければ明白ですが、先に挙げたカッティングギター、ベース、パーカス以外の楽器(ギターの美しいコード・ストロークやホーン、シンセなど)が非常に幅を利かせたサウンドはむしろ、豊かなハーモニーと雄大で美しいメロディを強調しているように感じられます。(なにせ、もっとも強調されているのはンドゥールの美しい『声』なのですから!)
もちろん、ビートも完全に覆い隠されたわけではなく、その動きやパルスがメロディ/ハーモニーを支持/補助するような音量バランスは保たれています。生々しくうねるリズムがメロディ/ハーモニーにより一層の深みを与え、作品を自然かつ豊かなアフロ・『ポップ』として成立させているのです。

昨年の新譜の中でベストに選ばせていただいたJeri-Jeri(こちらもベースにあるのはサバラですね)と比較すると分かりやすいと思います。
先のレビューでも述べましたが、Jeri-Jeriに対するマーク・エルネストゥスの視点は非常に白人的で、「外の人間」だからこそのプロデュースだと思います。(だからこそ、あの作品はトンガッてて素晴らしいのですが)
逆に、この"The Guide (Wommat)"は、生粋のセネガル人であるンドゥールの考える、ありのままの「セネガル・ミュージック」の美しさ、豊かさが見事に表現されているのではないでしょうか。
ワールド・デビュー後は「薄くなった」と言われることも多いようですが、むしろ世界を相手にとった場合の、セネガルのポップ・ミュージックとしては、こちらの方があるべき姿なのかもしれません。






The Guide WommatThe Guide Wommat
(1997/02/06)
Youssou N'Dour

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Seun Kuti & Egypt '80 "A Long Way to the Beginning"

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Artist: Seun Kuti & Egypt '80
Album: "A Long Way to the Beginning"
Label: Knitting Factory
Year: 2014

Tracklist
01. IMF (5:01)
02. African Airways (5:12)
03. Higher Consciousness (7:34)
04. Ohun Aiye (5:18)
05. Kalakuta Boy (6:41)
06. African Smoke (6:49)
07. Black Woman (8:53)


アフロ・ビートに対し、どういうアプローチをとるのか、というのは実は非常に面白い問題なのではないでしょうか。
多数の楽器が複雑に絡まりながら一つの大きなうねり/グルーヴを醸成していくという音楽性、あるいはフロントマンの声がもつメッセージ性やアジテーション。
どの要素を、どういう方法論で強調していくのか、というのは、プロデューサーにとっても自身の音楽的素養を示す大きなチャンスであると思えます。
そういう意味で、今回リリースされたシェウン・クティの新作は非常に面白い作品である、ということが出来るでしょう。

今作は、今をときめくジャズ・ピアニスト ロバート・グラスパーによるプロデュースです。
グラスパーは以前、ベナン共和国出身のギタリスト リオーネル・ルエケの作品もプロデュースしたことがあります。
ルエケの作品では、アフロ・フィーリングを漂白し、洗練させたようなプロデュースを見せていましたが、今回のシェウンについて言えば、それとは真逆のかなりトンガッたアプローチをとっているように思えます。

まずもって特徴的なのはミックスです。
ベースやバスドラム/タムタムなど、リズム楽器の低音部を強調するとともに、各楽器をクリアに分離させる音量バランスにより、アフロ・ビートのもつポリリズミックな部分がかなり直截的に提示されています。
特にドラムスのミックスについて言えば、そのマットな質感はUKダブやミニマル・ダブに通底する感覚もあり、ソリッドでありながらもどこか小気味良い印象です。
それらリズム楽器と、ブラスによる歯切れのよいヴァンプやザクザクとしたサウンド・メイクのギターは時に複雑に絡まり、時にユニゾンしながら、大きな一つのうねりを作り出していきます。
各楽器の重なり方がかなりストレートに提示されているため、聴き始めはやや混乱するかもしれません。

グラスパーはその隙間にキーボードの夢見心地な音響や、シェウンのヴォーカルや女性コーラス、M1(Dead Prez)らによるラップなどをあてがいました。
彼は音響とグルーヴ、そして言葉を自在に前景化/後景化させることで、アフロ・ビートを、とても複雑な多層性をもった音楽へとアップデートしています。
思えば、前作のプロデューサーの一人であるブライアン・イーノはそういった楽器の絡みよりも、そこから生み出される結果としてのグルーヴを強調していたように思えます。
グラスパーのアプローチはグルーヴが生み出される「過程」や「方法論」に着目したものと見ることができ、イーノと真逆の視点でプロデュースにあたっているということではないでしょうか。

勿論、その多層的な音はシェウンの怒気に染まったヴォーカルがはらむメッセージ性を強く押し出します。
IMF(国際通貨基金)を「国際的クソッタレ(International Mother Fxxker)」ともじった1曲目を始めとして、貨幣システムを始めとする資本主義体制に対する反逆の意思や、同胞に対する惜しみない愛情やアジテーションを父譲りの野太い声で歌う様は、前作から3年経った今作においても彼の「戦うミュージシャン」としての姿勢が全く揺らいでいないことを如実に語っています。
また、4曲目ではカリビアンなアプローチも見ることができ、グラスパーによるトンガッたプロデュースと併せて見るに、シェウン自身父の遺したアフロ・ビートを完成形として、その上に安寧するつもりはまるでなさそうですし、また、先頃亡くなったネルソン・マンデラの自伝にも引っ掛けたと思われるタイトルは、まるでその力強い決意を物語っているかのようです。

彼のチャレンジが行き着く先が、さらに楽しみになる意欲作ではないでしょうか。


)



ロング・ウェイ・トゥ・ザ・ビギニング〜始まりへの長い道のり(解説、歌詞対訳付き)ロング・ウェイ・トゥ・ザ・ビギニング〜始まりへの長い道のり(解説、歌詞対訳付き)
(2014/03/09)
シェウン・クティ&エジプト80

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